漫画家の水木しげるさんの「お別れの会」が先月31日に開かれて、8千人が参加した。水木さんがこれほど愛されたのはなぜだろう。亡くなって2カ月余。今、あらためて考えた。

■マンガコラムニスト・夏目房之介さん

 水木さんの登場人物って、驚く時に「フハ」って言うんです。水木さんには、そう聞こえたから、そのまま描いた。そこが、水木マンガのおもしろいところです。ぼくらマンガ研究者は、戦後のマンガを代表するのは手塚治虫さんだと考え、論じてきました。手塚マンガはモダニズムの世界です。物語も展開もかちっとしています。でも水木マンガはぜんぜん違う。例えば、どう考えてもストーリーに関係ないエピソードが延々と続く。鬼太郎とねずみ男が喫茶店で音楽を聴きながら雑談しているとか。物語にとっては無駄です。でも水木さんは、これを描きたいんですね。手塚さんのような物語の展開と絵の密接な関係には、あまり興味がなかったのでしょう。で、そのあと事件が起こることは起こるんだけど、割と短く終わってしまう。あの、なんともすっとぼけた展開。手塚さんは嫉妬したらしいですよ。自分には描けない世界だと思ったのでしょう。当時の子供向けマンガは、手塚マンガもそうですが、線が閉じています。ディズニーのアニメもそう。それが当たり前でした。しかし水木さんが描く人物や妖怪は、線が閉じていないことが多い。結果として人物が茫洋(ぼうよう)とした、ふわふわした存在になるんですね。日常とは淡々と、ふわーっとしているものだ、人が生きているとはこういうことだ、というのが本人の中に確固としてあったと思います。その日常を、いきなり断ち切るように悲劇が起きて、死んでしまう。南の島に兵隊として送られた戦争体験が大きく作用しているはずです。捕虜時代に描いたスケッチが残っています。見ると、以前の絵と違う。絵とは時間がどうしても入り込むものですが、この時は時間が止まっている。生命感が感じられません。時間が止まるとは死ぬということです。これはぼくの想像ですが、水木さんは、捕虜時代に一種の臨死体験をしたんじゃないか、「異界」との境界にいたんじゃないか、と思っています。妖怪もそこから生まれてきたと思う。あの人、妖怪を見てないですから。生前、「見えましたか」って聞いたら、「いや、感じるんです」って言っていました。だけど、それを感じる状態っていうのは多分、意識変容の状態です。あの戦争体験の中でそういうものを感じ、「ここに異界がある」と思ったのでしょう、きっと。水木さんが描く妖怪は、怖いというより面白い。怖さの向こうに安逸、ほっとしてしまう世界があります。水木さんが書いた「ゲゲゲの鬼太郎」の歌詞は、「試験も何にもない」「楽しいな、楽しいな」でしょう。この思い、本気だったと思いますよ。(聞き手:編集委員・刀祢館正明

 

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 50年生まれ。学習院大学教授。マンガ批評で99年に手塚治虫文化賞特別賞。著書に「マンガと『戦争』」など。

民俗学者小松和彦さん